過去の雑記

なぜ高校教師を休職し、世界に飛び出したのか

なぜ高校教師を休職し、世界に飛び出したのか

なぜ高校教師を休職し、世界に飛び出したのか

 

〈今死んで悔いはないか〉

現在、世間で言うアラフォーになりました。30過ぎるまで海外にはほとんど興味もありませんでした。定年退職後、海外旅行でもすればいいかなくらいしか思ってませんでした。

しかし、年を重ねるにつれ「今死んで悔いはないか」という自問自答が増えました。
自分が本当にやりたいことに耳を傾けてきました。

それを繰り返すうちに、自分が自分の人生の大切な時間を使って何をしたいのか少しずつ見えてきました。

〈なぜ死を意識し始めたのか〉

理由は大きく2つあります。
1つは自分が2歳の時に、心肺停止し人生の終わりを迎えかけたこと。何かある度に、このいただいた人生をどう使うか見つめるきっかけになっていたようにおもいます。

2つ目は、自分の大切な人たちの死を経験したことです。大好きだったおじいちゃん、おばあちゃん、親戚の叔母、高校時代の同級生、大学時代の同級生、後輩やかわいい教え子が亡くなっています。

自分がすごくお世話になり、深いご縁のある一人ひとりのことをわずかな時間ですが思うようにしています。

生きたくても生きられなかった一人ひとりのことを思うと、今生きている自分の命を大切に使いたい気持ちが湧いてきます。その人の分も頑張ろうと思えてきます。

そうする中で、自分の人生にはいつか終わりがあることを目をそらさず、向き合い、受け入れながら人生を歩むようになってきた気がしています。

〈なぜ海外に興味を持ったのか〉

6年前、仲良しの後輩が海外旅行に誘ってくれました。僕のことをよく知る彼は、今までにたくさんの国を回った経験があり、その中からネパールに一緒に行くことになりました。

ネパールに決めた理由は、アジアで最も貧しい国の1つであることと、世界一のヒマラヤ山脈の麓の国だからでした。
普通の観光地には当時興味がなく、恵まれ過ぎているように感じていた日本とは全く違う国が見てみたいと思っていました。

また、自身の目標として、世界一の体育教師になることを掲げていたので世界一の高さを誇るヒマラヤ山脈の麓の国ネパールに惹かれました。

このネパールでの、ほんの1~2分の出来事が海外への興味を持つ本当に大きなきっかけになりました。

カトマンズ空港に到着し、ボロボロのタクシー、あり得ない高額な値段でぼったくろうとする人、整備されていないガタガタの道路、牛が道をあるいている、パンツ1枚で両手を地面につけ犬のように歩く人にも衝撃を受けました。

タクシーに乗り、信号待ちで止まっていると小さな女の子がドアをノックし
「ヘルプミー、ヘルプミー、ギブミーマネー」
と悲しそうな顔で言ってくる。

事前に、こうしたストリートチルドレンにはお金をあげてはいけないと聞いていた。あげれば、そういう子どもが増えてしまうから。頭では理解していた。

その子の顔の半分は火傷で溶けていた。

髪の毛が半分生えておらず、耳もほとんどなくなっていた。顔の半分もぐちゃぐちゃで胸がえぐられる思いがしました。

いろんな感情が一気に沸き起こり、正直どうしていいかわからなくなりました。何がこの子にとって一番いいのか、信号待ちの時間の中で、僕は持っていたお菓子とボールペンをあげました。それが僕の精一杯の答えでした。

その後もしばらく頭から離れませんでした。

何年経ってもその時のことがずっと心に引っ掛かり、自分の知らなさすぎる世界をもっともっと知りたいと思うようになりました。

〈休職し海外に行く決断〉

今から一年半前、退職し、退路を経って世界一周の旅に出ようと考えました。
退職することを校長に伝えましたが、休職の道があることをご助言いただき、今回はそうさせてもらうことにしました。

純粋に世界の国々を見てみたい。
いろんな国の人たちと話してみたい。
世界の人々がスポーツとどう関わっているのか見てみたい、一緒にやってみたい、新しいスポーツに挑戦したり、プロスポーツも見てみたい。日本とは異なる文化、習慣、美しい景色も見てみたい。そんな思いが溢れてきました。

そのうちに、国際ボランティアに参加しながら、世界を旅することができるNGO団体を見つけそこに参加することにしました。

今までの人生で一番苦しかった離婚による子どもとの別れ。悪い意味ではなく新しい人生をスタートさせる背中を押してくれたと思っています。

〈なぜこのタイミングなのか〉

海外に行きたい気持ちが抑えきれなくなったのが一番の理由。退職してから行けばいいと何度も考えましたが、その時に生きているかわからない。元気かどうかもわからない。

それなら今、仕事も経験し、心と体のバランスも最もいいと感じている今行くのがベストだと思いました。

ただし、自分のやりたいことだけを押し通すのではいけないと感じていたので、出来る限りの配慮はすべきだと思い、信頼する上司や同僚の助言もいただきながら、ご理解と協力をしていただいたおかげでこのタイミングで実現することができました。

〈この1年にかける思い〉
二度とないチャンスをいただきました。一度きりの自分の人生。もちろん主役として今しかできないこととして、やりたいとおもったことに思いきりチャレンジし楽しんでいきたい。それと同時に、生徒や先生の目となり耳となり心となって、いろんなものを感じ取って帰りたい。そして最高の人生につなげていく。

「自他共の幸福の実現」

「自分らしく生きる」