過去の雑記

「いい親切」と「そうでない親切」の決定的な小さな違い

「いい親切」と「そうでない親切」の決定的な小さな違い

「いい親切」と「そうでない親切」の決定的な小さな違い

自動車のおじさん

朝から、気持ちよく散歩。

ゆったりした気持ちで、近所の公園へと歩く。

実に気分がいい。

 

小さな幸せを感じながら歩いていると車が曲がってきた。

 

走り始める前に、にこやかに「どうぞ」とジェスチャーをする運転しているおじさん。

 

感謝の気持ちで頭を下げ、気持ちよく走って先に横切る僕。

 

さらにいい気分になった。

 

思い出した過去の苦い経験

同じ状況でも苦い経験があったのを思い出した。

しかめっ面をして、「どうぞ」のジェスチャー。

 

なぜかあまり嬉しくなかった。

なんなら僕が止まって、車に先に行ってもらえばよかったとも思った。

 

違いはなんだったのか。

 

喜んで親切しているのか。

 

いやいや親切しているのか。

 

ここが急所だと思った。

 

かくし味は真心(料理の鉄人)

僕が郡上に住んでいたとき、よく通っていたラーメン屋「重楽」という店がある。

今時珍しい、江戸っ子のような粋でかっこいい大将のお店。寮にの味も大好きでしたが、その人柄がもっと好きでした。

 

そのお店の中に

 

「かくし味は真心」

 

という色紙があった。

 

料理の鉄人に出ていた有名な方が書いた言葉。

 

いつも食事をしながら、その言葉が好きでよく見ていた。

 

感謝の真心が一番大切。

 

親切するときに、ニコッと微笑んでくれたこと。

ジェスチャーでわかりやすく配慮してくれたのも、喜んで人を大切にしてくれる真心の表れ。

 

人を大切に思う心。

人に敬意を持つ心。

 

運転手の僕を大切にしてくれる、さりげない真心が嬉しかったんだと気づいた。

 

いい親切はお互いのリスペクトで生まれる

ちょっとスイッチが入った(笑)

もう少し掘り下げてみる。

片側の親切では、いい親切は生まれない。

 

今回で言えば、運転手が僕に先に道路を渡るよう譲ってくれた。それだけでなく、笑顔で、どうぞというジェスチャーをつけて、喜んで親切してくれたことでより良い親切が生まれた。しかし、これだけではまだ足りない。譲ってもらった僕が、小走りして笑顔でお礼を伝える。真心同士で小さな行動に出た。

僕は走理終えた後、運転手の顔は確認していないけど、じんわりくる嬉しさがあった。だからわざわざ携帯にこの出来事をメモしてブログに書きたいと思った。

お互いをリスペクトする、真心と行動があって初めて素晴らしい瞬間が生まれると思った。

そしてこれはお金では買えない、人間として本当に豊かで幸せな時間だと感じた。

 

もう一歩〜できることにフォーカス〜

最後に一つだけ、言及してこのブログを閉じたい。それは、自分自身への戒めも込めて書いておきます。

 

「自分のできることにフォーカスすること」

 

わかりやすくいうと、相手の運転手が親切だろうが、横柄だろうが、そこに振り回されず、自分のいいと思う親切を真心込めて行うこと。

相手に求めないこと。どんな状況だろうが、自分が人として「どうありたいか」そこに目を向けて、実践できたかどうか。そこに喜びを見出す。そうすれば、相手によって感情を乱されることもない。嬉しいことはいいが、相手の行動によって、なぜこうしてくれないんだと腹を立てることは何もいいことにならない。

 

自分がどんな振る舞いをしたか。そこに焦点を当てて行く。それがいい継続を生み、人格を作る。それを見た人が、「次は自分もやろう」と思うかもしれないし、実際にやる人も出てくるかもしれない。そう思ったら、小さな一歩のように見えて、世の中にほんの少しかもしれないが役に立てる。

 

人生をどう使うか。

自分の命をどう使うか。

 

「いい親切」と「そうでない親切」の決定的な小さな違い。

感謝、敬意。人を思う真心を大切にしていきます。

 

自分にできることにフォーカスして、みなさんと一緒に人生を存分に楽しんでいきたい^_^🌻