過去の雑記

車の運転に「国民性」が現れる

車の運転に「国民性」が現れる

車の運転に「国民性」が表れる

僕はよく歩く。

 

交差点や信号を

渡ろうとする時

車が来るときはよくある。

 

なぜか毎回

少し申し訳ない気持ちになり

僕は足早に通り過ぎる。

 

特になんの変哲も無い

日常に溢れた光景。

 

そこでいろんな思考が

うごめきだし錯綜が始める。

 

昔ならそんな自分に

めんどくさいなと思っていたと思うが

 

「どう生きるか」

 

と考えるとき

とても大切なヒントをくれる出来事。

 

ドイツやフランス、スペインの交差点

ヨーロッパを旅していたとき

日本と同じように

交差点や信号を

渡ろうとする時

車が来ることが何度かあった。

 

僕が通り過ぎるのを

穏やかに待ってくれているように感じた。

 

時間にすれば

1秒、2秒のちがい。

 

でも、どこかストレスを

感じなかったのを覚えています。

 

歩行者を大切にしてくれている

そんな印象を何度も味わいました。

 

「車の運転に国民性が表れる」

 

その言葉がその度に

何度も頭をよぎりました。

 

イギリスで免許を取った茂木健一郎さん

脳科学者の茂木健一郎さんが

イギリスで自動車免許を取ったときの話で

こんなことを言っていました。

 

「歩行者がいたら、運転手は徹底的に待つことを叩き込まれる」

 

自動車の運転手は、歩行者が渡ろうとしていたら

徹底的に待つよう指導される。

 

歩行者が目の前を通り過ぎたら

走り出す自分とはちがう。

 

最後、横断歩道を渡り終えるまで

じっと待つ。

 

歩行者に安心して渡ってもらう

運転手にできる配慮だと感じました。

 

ほんのわずかなちがいですが

僕も後者でありたい。

 

それから

車を運転するときは

歩行者が安心して渡れるように

ほんの少しかもしれませんが

心に思いやりという

ゆとりを持って

ハンドルを握れるようになりました。

 

車の運転に国民性が表れるなら

まず自分がそれを実践していきます。

 

日本人とかじゃなく

地球に住む同じ人間として。